PDAの話をしよう2 まだまだ続くワープロの思い出
PDA、パーソナルデジタルアシスタントの思い出話を紹介しています。前回は、アドレスフリーの大部屋システムの会社にて、社内モバイルのために、手帳のデジタル化を試みた話をしました。
その手帳のデジタルアシスタント化の最初の機器は、PDAではなくワープロでした、というところで、PDAの使い始めるところまで達しませんでした。
もうちょっとワープロの話を続けます。私のワープロ歴は結構長いものでした。最初は大学の卒論を書くために、大型のワープロを自宅に導入しました。1980年代は学生にコンピューターやパソコンがなく、大型計算機センターの端末にデータ入力をして、計算結果をプロッターに打ち出す、ということをしていました。プリンターではありません。プロッターです。研究データの数百という数値を式に当てはめてグラフ化するという地道な研究をしていました。数値を出すための実験とその数値の検証で数ヶ月かかっていました。
そんな状況の中、卒論は手書きというのがスタンダードでした。しかし、卒論直前まで実験を行い、検証が必要となり、卒論を書き換える可能性がありました。手書きで膨大な文書を書き換えることは、さすがに非効率と考えて、ワープロ利用を考えたのですが、研究室の数少ないワープロを学生が占有して使うわけにはいかず、バイト代にてワープロを購入した覚えがあります。
初めて購入ワープロがNECの文豪miniでした。
https://gyazo.com/eb1e45317a5fe78ce7badb99e84dc531 https://ja.wikipedia.org/wiki/文豪
所謂バケツタイプのワープロで、取っ手がついており 持ち歩けます。そこで、スクーターの足元に乗せて、研究室と自宅の往復をしていました。
この文豪miniがマニアックなワープロで、割り込みキーでc言語に降りることができました。簡単なプログラムを作って遊んでいました。
また、オプションでモデムを内蔵できたので、ン通信をこのワープロにてやり始めました。NIFTYサーブ、PC VAN、そして、草の根ネットもやっていました。
草の根ネットってご存じですか?ローカルなパソコン通信のことで、その地域の情報交換を中心に少人数でチャットや掲示板運用するサービスです。私は、当時、文京区の草の根ネットに参加して、仲間とバイクでツーリングに行っていました。
卒論で必要に迫られて購入したワープロですが、c言語で遊んだり、パソコン通信したりと、別な用途で利用していました。しかも、バイクで持ち歩いて疑似モバイルも行っていました。この当時から、モバイラーとしての素質が開花したのかもしれません。その後、30年に渡り、モバイルを実践することになってしまいます。
と、今回もPDAの話題まで到達できませんでした。また次回。